■「握られた瞬間、身体が浮く」開祖・宗道臣の柔法
森は中学1年のとき終戦を迎えた。エリート官僚だった父親の仕事の関係で、 それまで暮らしていた外地・朝鮮から母親の郷里である香川県坂出市に森が
引き上げてきたのは、翌年の昭和21年(1946)である。
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少林寺拳法普及の時代、鹿児島の小学校体育館で演武を披露する森範士 |
中学を卒業し坂出高校に入学した森は自ら柔道部を創設し初代主将となる160センチ、55キロの小兵ながら、森は柔道の黒帯になった。
高校3年の2学期に父親が事業に失敗し、森は大学進学を断念。
高校卒業後も地元に残った。少林寺拳法に出会ったのは、その頃である。少林寺拳法の道院が坂出にできたらしいことは知っていたが、特に関心を持つことはなかった。
そんなある日、「自宅の裏で少林寺拳法を教えている、私よりも小柄な川口さんという人が『森君、柔道しているのか?』 『やっていますよ』『それなら投げてみろ!』というのです」
血気盛んな森大範士は「何が少林寺拳法や」とばかりに柔道で掴みかかったところ、 胸落の技で簡単に極められてしまった。 「こんなに痛い技が、この世にあるかと思いましてね(笑)。それが入門したきっかけです」
昭和27年(1952)、森は少林寺拳法坂出道院に入門した。
坂出道院に入門して3ケ月ほどしたころ、開祖が坂出道院に来られた。
第一印象は、凄味のある人…。しかし、恰幅のいい開祖を見て、森大範士は
「大きいなあ…やっぱり少林寺拳法も、身体の大きな者が強いんかなあ……」と思ったという。
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森大範士40代の頃、本部練成道場での指導者講習会にて、
開祖へ柔道式の腰投げを仕掛け、表投でかえされそうとするところ。
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ところがその頃、なかなか決まらなかった逆小手を開祖に掛けて もらったところ、それまでは逆を極められての痛みで飛ばされてい
たのが、真綿で包まれるように投げられたことに感銘を受け、実に 二十数度に渡り開祖に技を掛けてもらったという。
「開祖は、こう捕られたらこう投げる……と技の手順は教えてくだ さるんですが、それがどうやったらそうなるのかとか、これはこう
なって・・・などとは、話してくださいませんからね。
実際に手をと って投げていただく、その感覚だけで、後は自分で考えてやってい かなくてはなりませんでした。
「開祖の技は他の人の技と違う。」
このときから、開祖・宗道臣の技を森は追い求め続けることになる。